保福寺峠 日程 2019/06/08 行程 長野県四賀村 保福寺峠(標高1345m)の地図 保福寺の地図 保福寺峠を通る東山道は、古来 都と東国、信州松本と江戸を結ぶ 重要な街道のひとつであった ウォルター・ウェストン(1861-1940)が 明治24年(1891年)8月2日 人力車で上田から保福寺峠を越え 松本に向かった 丸山晩霞(1867-1942)が 吉田博(1876-1950)とともに 明治31年(1898年)6月から7月にかけ 「日本アルプス写生旅行」を敢行 飛騨方面まで巡り、帰途、松本から 保福寺峠を越え上田に向かった 現在この林道(県道181号線)の 四賀村保福寺~青木村は 舗装されてはいるものの、細道難路である 人力車で通ったウェストンは たいそう難儀したことであろう 2019/06/08 保福寺の通り 曹洞宗 保福寺 山門の大きな草鞋(わらじ)は 青木村までの 難路旅路の安全を祈ったものであろう ここから歩けば青木村沓掛温泉まで20km 標高差500m、山道で5~6時間の行程だ 村社 津嶋神社 四賀村から保福寺の通りを過ぎ 最終の人家あたりで 左折して保福寺峠に向かう 保福寺峠への途中に 「一遍水」がある 一遍水 一遍水は「一遍上人」が飲んだ水とされる 晴れれば松本方向の視界が開ける 一遍水から、さらに登って行くと 保福寺峠に辿り着く 保福寺峠(標高1345m) 十観山1285mへの トレッキングコースになっているが ここから 二ツ石峰1563m~入山1626m~ 御鷹山1623m経由で行程9.5km 保福寺峠にある馬頭観音 十観山へ続く登山道 保福寺峠の看板 保福寺峠には、ウォルター・ウェストンの 「日本アルプス絶賛の地」の石碑がある 石碑の背には次のように記載されている 明治24年(1891年)8月 午後1時少し過ぎ 私達は人力車に揺られながら 上田町を擁している山囲いの渓谷を横切って行き 保福寺峠を越え 松本に西走する道に沿っていた (中略)午後6時 私達は海抜4500呎(フィート)の山頂に達した それから、その山稜の割目の 左側に至る小さな円丘に立つと 私達の心引かれていたあの 大連峰の全景が、突然眺められた 私達は思いがけなくその眺望に接したので ただ驚嘆するばかりだった 「日本アルプス登山と探検」より ウォルター・ウェストン著 岡村精一訳 ウォルター・ウェストン(1861-1940) 英国宣教師 明治21年から大正4年まで都合3回来日 日本アルプスを 世界に初めて紹介した人であり 保福寺峠を越えたのは 明治24年(1891年)8月2日 と推定される 昭和61年10月(国際アルピニスト年) 四賀村・青木村建立 ウォルター・ウェストンの石碑から西方向を眺める 雲が晴れれば絶好の眺望がある 乗鞍岳~霞沢岳~前穂高岳~蝶ヶ岳~ 奥穂高岳~北穂高岳~常念岳~槍ヶ岳 の山々が見えるはずである 快晴の日を選んで、また訪れてみよう 保福寺峠にある、萬葉集の歌碑 保福寺峠にある、鳥獣供養塔 保福寺峠から青木村へ続く林道を 20分ほど車で下り 沓掛温泉を目指したが とても大変とわかり時間切れで 中間地点あたりで保福寺峠へ引き返し 帰途となった それにしても 昔の人は舗装もされていないこの山道を よくぞ歩いたものだと感心した 昔かつて一遍水にあった茶屋が 唯一の休憩場所で 途中の宿は無かった 大変な道には必ず馬頭観音の石碑があり ここにもある 当時が偲ばれる . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . <EOF> |